有吉弘行という男

最近チャンネルをひねると必ずといっていいほど目にするようになった人物。
実に有名になりました。

彼はかつて「進め電波少年」という番組で、
ヒッチハイクの旅の企画で大ブレイク。
今からちょうど8年前 94年の話です。

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あの時の歌「白い雲のように」がヒットし
一躍有名人になったわけですが、その後人気がダウン


いったいどこに行ってしまったのか
人気低迷後、仕事が激減し、7~8年間、
広島のローカル局での出演にとどまるような落ち込みぶりをみせ、
経済的にも自活できないところまで追い込まれていったようです。

芸能界の浮き沈みは本当に激しく、誰も予想をつけることはできません。
しかし、あるきっかけがあって、プロデューサーの目に留まり、こいつは行けるとなると
そのあと押しから、チャンスを再び与えられるようです。

そうしたチャンスを見事ものにして、さらにスポンサーをよろこばす視聴率の
上昇に貢献しだすと、今度はレギュラー番組の話がくる。
やがて、お茶の間の顔となっていくという、
仕掛けられた流れとなるわけです。
有吉さんもそんな典型的な道を歩んでいるようです。

芸能界で生きる人たちは、
一度ブレイクすると月収何百万にもなる収入が懐に入る反面、
人気が一度引いてしまうと、過去の栄光など関係なく、
ギャラもダウンし、生活さえままならなくなるパターンとなる厳しい世界。

有吉さんの場合は、「内村プロデュース」にたびたび出演することで、
のちにテレビ出演本数ランキングで1位を取った2011年以降から、
徐々にお茶の間の認知度を上げてきたわけです。
引き立て役の人が存在したことが、
彼の芸能界での生き残りを可能せしめたのでしょう。

また、ただテレビに顔を出す機会が増えただけでなく、
彼の毒のあるしゃべり、べらんめい調の言いまわしが、
過去の猿岩石時代とは違って、
新しいキャラとしてお茶の間に受け入れられているのでしょう。
最近は人気上昇の波にのって、さらに磨きがかかっているようです。

本人曰く、哀川翔の物まねが受けて仕事がふえたとか。

みのもんた氏が息子の不祥事により、
表舞台から「失脚」してしまったのち、
その‘ポストみの’の椅子を狙って何人かのお笑い芸人が
浮上している中の一人だと見ることは可能です。

ただし、
てめえこの野郎式の語り口調は、あまりやりすぎると、
今度はその反動で嫌がられるようになります。

また、青少年には有害となるため、
時間帯によって顔を出しにくい時間帯を作りだすことにもなりかねません。
そうなると、人気に陰りが出た時に、
活躍の場が瞬時になくなることもあり得るわけです。

今度彼の人気が何かの躓きによって落ち込み始めたら、
再び浮上することはなくなってしまうでしょう。
中身なき口先芸人としてのレッテルを張られ、
そのまま人々の記憶から消えていくのです。
人気を博しているときこそ、
深みあるキャラを模索すべきではないかと、
今日も彼の顔を見ながら思わされました。。

「低俗」と烙印を押されないうちに。

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